最近の若者っぽい情報検索ムーブをしてみたら、tiktokが圧倒的に楽だった

4月に新社会人向けの情報セキュリティ研修をするにあたり、新社会人は何かしら予習(例えば新社会人のマナーとか)をしてくるんじゃないかと思った。
私がそれらの予習をしたのは十数年前になるので色々変わっているだろうと。
そこで、新社会人がどのような情報検索ムーブで予習するのかを予習しようと思った。

自分で考えた予習の方法

1.Googleさんに「新社会人におすすめの本」とかで検索をかける。
2.本を買って読んでみる

字面にすると改めて、新社会人はこんな情報検索ムーブしないだろうと思う。
と言うのも、新社会人は自分が欲している情報を得ようとするとき、全く違う情報検索ムーブをしているんじゃないかと考えたからだ。
これではギャップは埋まらない、、むう。

調べ方のヒアリング開始

近くにいる20代の人達にヒアリングをかけてみよう。
「あなたは学生で4月から新社会人です。色々不安に感じている所があり、情報を得ようとしています。その時の調べ方を教えてください。」
というのをすげえフランクに伝えて、回答を得た。

結果・・・

・まず、本は読まない!!(危ない、徒労+自己満をするところだった。新社会人向けの本は、新社会人に相対するおっさん(私)達向けの本だと理解)
・Google検索はするかも。
・twitterやInstagramで検索、ハッシュタグ検索もするかも
・真面目だったらYoutubeで動画見るかも
・でも、長い動画(10分や15分を長いと言っていた!!)は見ないかも
・Youtubeで長い動画を見るなら、tiktokで検索して色んなの見るかも
・なんか、twitterとかtiktokって情報が怪しくないですか?なので、色んなの見て、共通して言っている事は合っているのかな~と思います。

この他に「そもそも予習なんかしないです」という非常にためになる金言も頂きました。

ヒアリングをしてみて調べ方の特徴を理解

まずは、スマホで検索できる範囲で調べている。
ネットの情報は怪しいから、様々なツールで検索をかけている。
その中から共通で語られている事を「本当っぽい」と判断する。
ざっくりと網羅的にではなく、自分の調べたいワードを絞って検索する
(例えば、ビジネスマナーについて調べるのではなく、ビジネスカジュアルとは?と絞って調べる)
検索ワードは自分のおかれている状況(不安、心配など)も入れる事がある

ということがヒアリングから分かったので、改めて調べ方を考えてみました。

新しい情報の調べ方

・twitter、Instagram、tiktokでキーワード、ハッシュタグ検索して情報を流し見してみる
・Googleでキーワード検索して情報を流し見てみる
・その中でレコメンドされる動画があれば、Youtubeも見てみる
・これらの情報源の中で、共通するものを「本当っぽい」と思う

改めて徒労で終わりそうな気がするが、ものは試しだ、やってみよう。
今回は、「新社会人 マナー 不安」等のワードをSNSを使って情報を取得してみる。

・・・

SNSにあふれでる共感、と共感を装った情報商材

twitterは疲れる

twitterで「新社会人 マナー」で検索
→思ったこと:「こんなマナーがあるから守ろう!」「とこんなマナーは変だ!」が混合しており、マナーを守った方が良いかそうでないのか不明。
twitterで「新社会人 マナー 不安」で検索
→思ったこと:やってはいけない新社会人のマナーをまとめてみました!がすごい量出てくる。が、ちゃんとしたリンクと、そうでない情報商材が混合
twitterで「#新社会人」で検索
→思ったこと:広告と情報商材とポエムが多い。でも、広告と情報商材の中に見つけるポエムはなんか読む気にさせる不思議。

Instagramは字読まない

Instagramで「新社会人 マナー」で検索
→思ったこと:名刺の渡し方とかエレベータの立ち方とか副業とか新NISAとかマジで使えねえ(この辺りから徒労感が出てくる)
Instagramで「新社会人 マナー 不安」で検索
→思ったこと:人間関係とかあなたはそのままで良い系しか出てこない。不安ワードで検索するのは色々やべえ。
Instagramで「#新社会人」で検索
→思ったこと:Excelの使い方とか名刺ケースの紹介とか、新社会人になってから見る物なんだなと思う。
 ハッシュタグのレコメンドで「#新社会人頑張れ」「#新社会人ファイト」とか出てきて心のあらぶりが落ち着く。
Instagramで「#新社会人頑張れ」で検索
→思ったこと:卒業写真ばっか出てくる、割と見てられるけど。

tiktokは圧倒的に楽

tiktokで「新社会人 マナー」で検索
→思ったこと:勝手に動画が流れ出すのがすごくいい。音楽あるとすごい個別な動画もタメになるように思える不思議。
tiktokで「新社会人 マナー 不安」で検索
→思ったこと:動画自体はすごく基本的なのだが、自動で読んでくれるのと音楽が流れるので、聞くのがすごい楽。あからさまな広告も見えない。
tiktokで「#新社会人」で検索
→思ったこと:Excelの使い方とか名刺ケースの紹介とか、新社会人になってから見る物なんだなと思う。
 ハッシュタグのレコメンドで「#新社会人 準備しておくもの」「#新社会人 彼女無し」とか出てきてそっちの方が気になる。

ここまでの感想。

twitterとInstagramは、読むぞ!見るぞ!調べるぞ!って感じが大変だと感じてしまう。
これは、広告もあるけど、tiktokを体験すると、読む(画面を見ている)のが大変なんだと気付く。
twotter→Instagrm→tiktokの順番で見ていくと、この楽さがすごい!楽さの落差がすごい!tiktokはめっちゃ楽

ただ、情報量と情報の質は全然ないと思う。
そうだけどそんな事はどうでも良いくらい楽できるtiktokすげえ。

Googleで「新社会人 マナー」と検索
思ったこと:挨拶、身だしなみ、時間、言葉遣い、ホウレンソウ、電話、名刺(名刺みんな好きだな!!)どれも基本だけど、分かり切ったこと。

おすすめのyoutube
そんなもんねぇ!

→検索ムーブして分かった事:社会人は、なんか、すげえ大変だと思いながら苦痛感じながらみんな働いてるんだなぁってことだけ分かった。

情報を得るということは、なんだったのか

やってみて、、疲れた、、こんなに色んな情報を検索して、見て、分かった事は「tiktokが圧倒的に楽だ」ということだけ。
この徒労感は半端ないし、大変だということだけ分かった、という無力感みたいなことも体感できた。

でも、もう少し頑張って、私のこれまでの情報検索ムーブと新しく試した情報検索ムーブの、裏にある思惑みたいなことを考えてみよう。

私は分かった気になりたい

Googleで新社会人の本を検索して、面白そうだなと思った本を読むという行為。
これは、自分にあっている(であろう)情報を取捨選択していると言える。
が、膨大にある情報の中から、非常に僅かな情報だけをインプットして「自分を分かった気にさせている」とも言える。
情報のインプット時点で「この情報は間違っているかも」と思う事はない(分かった気になりたいから)

この情報検索ムーブの結果は、例えば社会人マナーで言えば、分かった気になって社会人になるけど、その通りでない事が沢山あり、適応したり反発したりしながら認知をアップデートする、だろう。
アップデートの繰り返しにより、その時その場所での正しい(と認識されている)マナーが身についていく。
だが、繰り返しになるが、このマナーはどの時どの場所でも適応できるものではなく、異なったマナーは無数にある。
のが現実の至る場所で発生しているが、その認識を常に持っているかと言われると顔を伏せる。(メタ認知の領域)

今回の自分実験により、「俺は分かった気になりたいんだな!」というのを強く感じた。
これが良いか悪いかは分からないが、この気持ちがあるおかげで、情報の取捨選択を優先して行う傾向にあるのだろうと思う。

分かった気になれない、けど

次に、新しく試した情報検索ムーブは、簡単に言うと「分かった気になれない。」
新社会人のマナーで見ると、このマナーはやった方が良い!という投稿と、このマナーはおかしい!という投稿がある。
単語にもよるだろうが、インターネットの特性として、ポジティブ意見とネガティブ意見(と広告と情報商材)が乱立している。

自分はこういったのが好みだ、という知識があれば取捨選択できるが、基準を持ち合わせていない人にはその判断が出来ない。
むしろ基準を作りたくて検索しているのだ。
twitterでは文章で、Instagramでは画像で、tiktokでは動画(と音楽)が連続して、そのような情報が怒涛のように脳内に送られる。

正しい情報かどうか、好みの情報かどうか、の判断もできないままに、情報を入れ続ける事になる。
やってみれば分かる(ww)けど、多くの人が知識(基準)を習得したって気にならないだろう。

でも、私はこんな状況であっても「分かった気になりたい」気持ちが働いたように思う。
例えば、新社会人のマナーの投稿を見ると、意見の内容は様々あるが、なんとなくみんな「怒っている、不満に思っている」ように感じる。
という印象レベルで分かった気になる=各項目の共通点を探している自分に気付いた。

探したい情報に対して、様々な情報にアクセスできてしまう環境では、情報の中身よりも「怒っている」「楽しそう」という印象の方に共感という分かった気を起こすのかも知れない。
私がtiktokを見て、みんな大変だと思いながら働いている、という事だけ分かった、という感想に似ている。
本当に分かった所だけ、そこを極大化して分かった気になろうとしている、傾向が私にはあった。

・・・

まとめ:若者についての本がたくさんあるけど

いや~すげえ大変だった。
自分実験はやっている時は苦痛だし、その後に思考の変化とか裏付けとなる認識の変化とかを得ようとグルグルしちゃうし。
でも、私の特性でまた「分かった気になってしまった」

多分、誰か1人の言葉、ある場面の1つの行動、は情報過多の今ではほとんど意味が無い。
意味が無いというのは、正しいのか正しくないのか判断できないから、判断を保留されてしまう。(タイムライン的に情報が流れていく感じ)
なので、言葉の内容(や文面、もちろん文脈も)とかは本当に意味が無い。

例えば私の事を若者に分かってもらいたい時は、話している雰囲気、楽しそうか怒っているか、ポジティブかネガティブかを連続でやり続けて初めて、意味が発生する。
この連続の中にこそ、分かった気(共通項)を見出してくれる。
なので、褒める時も注意する時も楽しそうに言えば、楽しそうな人だと思ってくれるし、いつも怒っていればどんな褒めてる言葉も怒っている人と思われる。
(我ながら、当たらずとも遠からずくらいの結論だと思う。)

若者について色々話されたり、書かれたりしているが、その内容について当の本人たちは判断を(ずっと)保留しているだろう。
分かることは、なんとなくネガティブに思われている(上から見られている)、くらいだ。
分かった気にならず、分かって貰おうとも思わず、ただ明るく話したり書いたりするだけで良いのか。

疲れた。